光の名はジャッキーミルバーン
著者:アルフレッド🏴 翻訳:ルナ🇯🇵
やあ僕だよ!
今日はニューカッスル公演の第三幕
第二次世界大戦時から1960年頃の物語を紹介していくよ!
是非最後まで見ていってね!
ウォータイムリーグ
第2次世界大戦中
中止されていたイングリッシュフットボールリーグの代わりにウォータイムリーグというものが開催されていて、ニューカッスルユナイテッドはそのリーグに参加して試合を行っていたんだ。
戦争中でもこの国のフットボールクラブは活動を続けていたんだね。
でもね、多くの優秀なフットボールプレイヤーが戦争に加わっていて、軍人として勤めながらこのリーグに参加していた。
だからほとんどのクラブは常に人手不足だった。
そのため、クラブは一般的な労働をしながらフットボールをしている選手や若手選手を出場させたり
別のクラブに選手を借りるなどして試合を行っていた。
当然フットボールのレベルは低かったそうだ
光の名は
そのようなリーグで活動していたニューカッスル
ある日、クラブディレクターが航空訓練団でフットボールをしている足の速い青年を見つけた。
その青年の名前はジャッキー・ミルバーン
クラブディレクターは当時19歳だった彼をセント・ジェームス・パークへ招待した。
招待を受けてスタジアムに訪れたミルバーン
彼が見たニューカッスルユナイテッドのフットボールは、リーグレベルと同様にレベルが低いものだったらしい。
一緒にスタジアムに来ていた友人には「俺達ならもっと良いプレーができる」と語っていたそうだよ。
彼はこの後すぐに新聞のトライアウト募集広告を見つけ
それに応募し合格
ミルバーンはニューカッスルとアマチュア契約を結んだ。
これが1943年
戦争真っただ中に起きたことね。
ミルバーンは元々、炭鉱で働きながら地元のスプリントレースに出場してお金を稼いでいた生活をしていたこともあり、とんでもない脚力を持った選手だった。
その実力を入団初日のトレーニングから遺憾無く発揮し、チームメイトに感銘を与えた。
そして彼は背番号10を背負い、インサイドフォワードとしてウォータイムリーグに合計95試合出場し、自身とクラブを成長させていった。
足が速くてキックパワーがあるところ以外は粗削りだったミルバーンにとって、この決して高くないリーグレベル、そして常に人手不足だったという環境は彼のフットボーラーとしての成長曲線にブーストをかけた。
ちなみに、彼はアマチュア選手だからその間も炭鉱での労働も続けていたよ。
選手をしながら別の仕事をしていたのは決して彼だけではない。
このリーグに出場していたほぼすべての人に当てはまることだ。
戦争から取り戻したフットボール
多くの人がそのような生活を送っている中、ようやく第2次世界大戦が終戦を迎えた。
リーグとFAカップは終戦後すぐに再開。
久しぶりに開催されたFAカップの試合には6万人ものサポーターがセント・ジェームス・パークへ駆け付けた。
フットボールに対する情熱が戻ってきたピッチ。
そこには開戦当時暗黒期だったクラブとは比べ物にならないくらい魅力的なニューカッスル・ユナイテッドの姿があった。
その中心にはもちろんミルバーン
この試合に出場した選手の多くはこれが初めての公式戦だった。
それくらいこのクラブメンバーの顔ぶれは戦争前と後とでは大きく変わっていた。
これは他のクラブも同様だった。
ウォータイムリーグで活躍した選手をそのまま採用したり、残念ながら戦争で亡くなられた方や怪我をして選手を辞めた方。
それから単純にリーグ中断時にフットボールプレイヤーとしてのピークが過ぎて引退した人もいたからメンバーがガラッと変わるのも当然のことだね。
この変化が当時暗黒期だったニューカッスルに良い影響を与えたんだ。
ミルバーンを含む新加入選手たちが躍動を続け、リーグが再開されてからわずか2年目の1947-48シーズンで1部昇格の切符を手にし、再び黄金期が到来する。
このシーズンのニューカッスルユナイテッドのホームゲームには平均57,000人近くが集まった。
これは当時の国内記録だったそうだ。
暗黒期や戦争を経てもなお、これだけのサポーターに支えられてるのはすごいことだよ。
ちなみにミルバーンはこの頃
ポジションをインサイドフォワードからセンターフォワードに
背番号を10から9に変更した。
そして、この背番号9というのは
「スーパーマック」ことマルコム・マクドナルドやアラン・シアラーといった最強クラスの点取り屋が後に引き継ぐことになる。
世界中の全ての人にとって最悪だった第二次世界大戦だけど、ニューカッスルにとっては泥沼から脱出出来るきっかけを掴んだ良い期間だったともいえる。
良いっていうのは違うか。
彼らも戦争で大切なものを奪われたことだろうからね。
戦争なんて無いほうがいいに決まっている。
黄金期到来!
1950年代に突入すると、ニューカッスルは5年間で3回もFAカップを掲げるほど強くなっていた。
1951年にはブラックプール
1952年にはアーセナル
1955年にはマンチェスター・シティ
このようなチームを堂々と倒してブリティッシュフットボールの頂点に君臨し続けた。
JETの二つ名が付けられたミルバーンはこの間も当然活躍を続けており、ニューカッスルを去る1957年までに399試合に出場し、201ゴールを叩き込んだ。
201だよみんな!
あほみたいな数字でしょ!
この数字は当然当時のクラブ最多得点記録だ。
そしてこの数字は、プレミアリーグレジェンドであるアラン・シアラーが現れるまでの50年間、破られることはなかった。
まさにレジェンドだ!
ちなみにこの数字はウォータイムリーグの数字は含まれていないよ。
時々これを混同して「この時代に活躍した選手の記録は皆ウォータイムリーグで数字を稼いだから参考にならん」って言う人もいるけど、彼のこの201という数字は正真正銘公式戦で記録されたものだ。
ジャッキー・ミルバーンは苦しい暗黒期を過ごしていた戦時中にチームを訪れ、炭鉱で仕事をしながらもクラブに光をもたらし黄金期を創造。
自慢の脚でクラブをチャンピオンに導いた!
恐らく日本では前回のギャラハー同様、ジャッキー・ミルバーンという名前はあまり知られていないと思う。
でもどうだろう?
このように歴史を紐解いてみると、イングランドのフットボール好きとしては知っておかなければいけないレジェンドプレイヤーの一人だという風に思えてこないかい?
これからはこのジャッキー・ミルバーンという光を日本でも語り継いでいってもらえたらすごく嬉しいよ。
おわりに
ミルバーンの輝かしい物語はこれでおしまい。
ミルバーン物語にピリオドが打たれると
時代はいよいよ1900年代後半に向かう!
という心が高揚してきたタイミングでこの第3幕は終了だよ。
いかがだったかな。
初めて知ることが一杯で頭疲れてない?
ウォータイムリーグとか知ってた?
1950年代の黄金期にニューカッスルが獲得した栄光というのは、もちろんミルバーンだけによってもたらされたものではないけど、黄金期創造にもっとも尽力した人物は間違いなくミルバーンだった。
第4幕では黄金時代のキャプテンだった人物が躍動するよ!
1960年代にもなるとみんながよく知っている選手達もそろそろウォーミングアップを始めだすタイミングだ。
この時代には黄金期を迎えたニューカッスルにどのような出来事が待っているんだろう。
楽しみに待っていてね。
それでは第3幕の公演はこれでおしまいにしよう!
今日も最後まで見てくれてほんまぐらしあす!
また次の公演で、ちゃお!
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