クラブ歴史紹介

ニューカッスルユナイテッドの歴史 第4幕

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ハーヴィー曹長の泥沼脱出大作戦
著者:アルフレッド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿 翻訳:ルナ🇯🇵

へぇい!僕だよ!
みんな元気してた?

今日はニューカッスル公演第4幕、1960年あたりからの歴史を紹介するよ!
ここからはみんなも聞いたことがある選手や組織名が出てくるよ!
たぶんねw

それでは早速本題に入ろうか!

衰退期

ジャッキーミルバーンの活躍で黄金期が訪れた!!!っていうテンション爆上がりなところで第3幕が終わったわけだけど、ニューカッスルユナイテッドはこの後すぐに衰退期に入ります。

1955年にFAカップファイナルでマンチェスターシティを倒してトロフィーを掲げた日を境に衰退期に突入。
ニューカッスルユナイテッドは1950年代後半、特にミルバーンが去って以降はかなり苦しいシーズンを送ることとなり、栄光を手にした5年後の1960-61シーズンに2部に降格した。

今と比べて経営を安定させることが難しかったこの時代には、このような派手な転落劇は様々な国のリーグで散見される。
逆に言えば派手な快進撃も散見されるわけで、ニューカッスルもこの波の中でジェットコースターのように浮き沈みを繰り返したんだ。

王立砲兵連隊曹長

FAカップトロフィーを3度制覇と2部降格という経験を10年という非常に短い期間で経験することになったニューカッスルは降格後、ミルバーンと共に黄金期を築いたメンバーであり元キャプテンのジョー・ハーヴィーを監督として招集した。

Simkin John. “Joe Harvey”.https://web.archive.org/web/20140502041558/
http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/NEWCharvey.htm. Football Encyclopaedia.

彼は戦時中、王立砲兵連隊の曹長を務めながらウォータイムリーグに参加していた経歴を持っていたり、現役当時は背番号4を背負って戦い、あのウィンストン・チャーチルからFAカップトロフィーを手渡しで受け取った経験もある。

凄すぎるよね。
ハーヴィーもミルバーンと並ぶクラブレジェンドなんだ。
彼が選手時代にチャーチルからFAカップトロフィーを受け取っている映像を掲載・販売しているサイトを見つけたからURLをシェアしておく!
気になる人はこの公演が終わった後にでも見に行ってね!

ミルバーン氏と共に作り上げた黄金期時代の映像(1952年)

地獄から天国へ

そんなハーヴィーが指揮を執ったニューカッスルは、沼に脚を絡めとられながらも必死になって戦い
1964-65シーズンの終わりに2部で優勝を果たして1部に戻ることに成功する。

ニューカッスルユナイテッドは昇格した勢いそのままに好調な成績を収め続け、1967-68シーズンには初めてヨーロッパコンペティションの出場権を獲得。

そしてそのヨーロッパコンペティションで優勝しちゃうんだ。

その大会の名前はInter-Cities Fairs Cupインターシティーズ・フェアーズカップ。
1955年から1971年にかけて行われていた大会だよ。
後のUEFAカップ、今で言えばUEFAヨーロッパリーグだね。

そのようなレベルの大会のトロフィーを1部に昇格してからわずか5年で掲げることになる。

すごくない?
天国と地獄が近い距離で繋がりすぎてるw

でも最高にエキサイティングだ。
このチームにハマっちゃう理由がここにもあるよね。

戦争を乗り越えて黄金期を作ったハーヴィーの実力はやはり本物だった。

imkin John. “Joe Harvey”.https://web.archive.org/web/20140502041558/
http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/NEWCharvey.htm. Football Encyclopaedia.

異次元の点取り屋

国を飛び越え、ヨーロッパで成功を収めたニューカッスルユナイテッドとハーヴィーは、才能があり、エンターテイナー性を秘めた人気選手をクラブに集めた。

その中でも点取り屋のマクドナルドは異次元の活躍を見せた。

Newcastle United FC 公式サイトより引用 https://www.newcastleunited.com/club/history/hall-of-fame/malcolm-macdonald/

前回も出てきたね。
スーパーマック。
ミルバーンと同じ9番を背負う男さ。

ちなみに、彼は後にアーセナルに移籍し、リーグ得点王に輝くよ。

Arsenal 公式サイトより引用 https://www.arsenal.com/historic/players/malcolm-macdonald

ニューカッスルとハーヴィーは、この男を中心にサポーターを楽しませるフットボールを展開し続けた。

ハーヴィーのフットボールは強いだけじゃなくて楽しかったんだ。
最高でしょ!

ニューカッスルは1973年と74年にはテキサコカップのトロフィーも獲得。
この大会の名前は皆初めて聞いたんじゃない?

この大会の正式名称はインターナショナルリーグボードコンペティションと言って、イングランドやスコットランド、アイルランド、北アイルランドの4カ国のフットボールクラブのなかで、主要なヨーロッパコンペティションに出場できなかったクラブを集めて行っていた大会だよ。

ニューカッスル以外にはレスターシティやクリスタルパレスといった有名クラブが出場していた。

その大会をニューカッスルは2年連続で優勝した。

そして、1975年にハーヴィーは監督の座を降りた。

クラブ史に深く刻まれるハーヴィーの功績

彼が監督の間、クラブはずっと中位に落ち着いていてリーグで優勝争いに加わることは出来なかったけど、低迷期に突入し2部に転落したこのクラブをヨーロッパのコンペティションで優勝させるだけの力を持ったクラブにまで押し上げ、サポーターを魅了するフットボールを展開しながら1部で戦い続けるクラブへと成長させた。

偉業だよ。

彼もミルバーン同様、ニューカッスルユナイテッドを語るときには触れずにいられないクラブレジェンドだ。

セント・ジェームス・パークにはジョー・ハーヴィー氏の功績を称える青銅の銘板がギャロウゲートに設置されている。

David Dixon / Joe Harvey Memorial, St James’ Park https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Joe_Harvey_Memorial,_St_James%27_Park.jpg

もしニューカッスルに遊びに来る機会があったら是非立ち寄ってみてね。

ハーヴィーを先頭に素晴らしい時期を作りあげたニューカッスルユナイテッド
その夢はもう少し続いた。

ハーヴィーが去った次のシーズンではリーグカップ、今ではカラバオカップと呼ばれているものだね。
この大会のファイナリストになった。

そのまた次のシーズンは1部に上がって以降最高順位である5位でフィニッシュし、UEFAカップの出場権を獲得。

天国から地獄へ

この調子でリーグタイトルも狙っていきましょうよ!という勢いを持ったまま訪れた次のシーズン
ニューカッスルユナイテッドはUEFAカップに出場するというフットボールクラブとしてキラキラな日々を送る一方、リーグで全く勝てず、最終順位は21位。

まさかの降格

やはりニューカッスルユナイテッドというクラブはどこにいても常に地獄と隣り合わせ。

降格した一番の理由は、彼らはヨーロッパのコンペティションを戦いながらリーグで勝ち点を稼ぐだけの戦力がなかったからだろう。
これは今でもよくある話だね。

EL出場権を必死になって手に入れたものの、複数の大会を戦うだけの戦力がなく、次のシーズンはボロボロっていうやつね。
当時のニューカッスルもこのあるあるに飲み込まれた。

頼りになる点取り屋のマクドナルドもこの降格シーズン時には既にアーセナルに引き抜かれていたし、苦戦するのはやむを得ない。
けどまさか降格するとは!って感じだよね。

久しぶりに2部に降格したニューカッスル。

でも降格した理由はさっき言ったように明らかになっている。
ならば自国の試合だけに集中できるこのシーズンならはいつも通りの力を発揮できるだろう。

すぐに1部に戻れるさ。
みんなそう思った。

歴史を遡っている皆でさえそう思うよね。
だって自力はちゃんとあるもん。

でもね、この後ニューカッスルユナイテッドは降格して以降6シーズンもの間2部でお世話になるんだ。

新たなる光

苦しい。

ついこの間まではUEFAカップというキラキラとした舞台でフットボールをしていた。

なのに今は2部で地獄のような戦いを繰り広げている。

苦しい…
苦しい…
苦しい…

心が切なくなるほどに苦しく、光の見えない日々をニューカッスルユナイテッドは過ごすことになった。

そんなとき

新たな光がニューカッスルへ救いの手を差し伸べた。

新しい光の名はケヴィン・キーガン

というところで第4幕は終了。

また新しい光の登場だ!

前回はジャッキー・ミルバーン

そして今回はキーガン!

ついにこの物語の主人公であるキーガンの登場だよ!
次回を楽しみに待っていてね!

それでは第4幕はこのあたりで終わりにしよう。

今日も最後まで見てくれてほんまぐらしあす!
また次の公演で、ちゃお!

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